鮑黎明先生の「中国命理枢要」を手に入れました。
鮑黎明先生のご著書、「中国命理枢要」を手に入れました。
以前より、読んでみたいと思っていましたので、興味深く拝読。
四柱推命や紫微斗数の実例が数多く掲載され、また四柱推命では泰山流や透派の相違点などにも触れられ、最近、透派の四柱推命に傾倒していたわたくしには、誠に得るところ大でありました。
さて、わたくしの命式は、泰山流では身旺の内格で、透派では従旺格。
喜神、忌神がまったく正反対になりますが、これまでの自身の人生の足跡を顧みますと、従旺格でみたほうが適切であると思っています。
しかしながら、透派でみた自身の四柱推命の行運と紫微斗数のそれとが合わない点が一カ所あり、何故なのか疑問に思っていましたが、このご本を読んで解明の手掛かりを得ることができました。
泰山流の方はお分かりのことと思いますが、やはり「地支」も大切であると再認識した次第です。
ところで、鮑先生のこのご本に、次のような記述がありました。
『私は仮従や仮化の命造を多く見てきた。或るものは八字理論
から見れば従する筈はないのだが、容貌や性情、六親の興廃、
過去の事績に照らしてみると従しているといったことが少なくなかった
ので、私は通信鑑定などを依頼されても本人と面会しなければ
如何なる命式といえども軽々しく論じないように努めている。』
とおっしゃっています。また、知人から借りました同じ鮑黎明先生のご著書である飛星紫微斗数闡秘にも次のような記述があります。
『吉運や凶運を象徴し、かつ左右するものは何かと言えば、それは
「相」であると言っても過言ではないと筆者は思うのである。従って、
たとえ良好な運の持ち主であっても、その運が果たして活かされてきた
かどうかは、すべてその「相」に現れる。であるから、紫微斗数に限らず、
四柱推命術で最終的にその人の運を決定するのは「相」である。
斯学を研究せんとする者は、この点に深く思いをいたし、以て軽々しく
人を断命すべきではない。』
いかがでしょうか。
わたくしは、あらためて鮑黎明先生は偉大な命理学者であられたと思いました。先般、他界されたと知り、斯界にとっても大きな損失。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
なお、蛇足ではありますが、文明の利器である、ファックスやインターネットを利用したメール鑑定は重宝かも知れませんが、わたくしも以前より、鑑定は対面しかお引き受けしていません。
人相や手相などの観相にははなはだ疎いわたくしですが、鑑定に来られた方の雰囲気、表情、そして何より喋り方は、その人の実際の姿を少なからず現しているように思います。
鑑定は人の一生を左右するようなこともありますので、鮑先生のお言葉のように慎重のうえにも慎重な姿勢が求められていると考えています。