血淋漓


 昨年12月、芦屋に占風鐸という占い教室兼鑑定所を設けさせて頂きました。


 すでに紫微斗数の教室やタロットの教室として、また会員の皆様の忘年会、新年会にと多目的に使わせて頂いています。
 時間を気にすることなく使えるのが何よりです。


 お陰様で、三月からの藤田和久先生の手相講座、またわたくしの四柱推命研究会も定員になりお申し込み締め切りました。有り難うございます。


 また時間に余裕が出来ましたら、初歩からの四柱推命の講座も開講させて頂きたいと思いますのでご興味のある方はお問い合せ下さい。



 さて、最近は、佐藤六龍先生のご本をよく手に取っています。
 ご存知のように佐藤先生は透派の四柱推命の大御所的存在の方で、占術関係の著作は群を抜いています。


 最近、購入した「そこが知りたい四柱の秘伝」佐藤六龍・口述、本間凡鯉・筆録という本は、読者の質問に答えるという対談形式となっています。
 この本はわたくしに透派の四柱推命(子平)の素晴らしさを再確認させてくれた本になりました。

 

 この本を読み進めると、「血淋漓(ちりんり)」というちょっと忌まわしい言葉が目に付きました。


 聞いたことがない言葉なのでインターネットで調べると、「血がしたたり落ちる」というようなニュアンスの言葉で、言うに言えない辛さ苦しさを表す言葉のようです。


 佐藤先生は、四柱推命の干と干の関係の中で、とくに、


 「丁辛、庚庚、庚辛」


の三つが、悖(はい)※の中でも最も辛い干関係で、庚辛の人は周りと円滑にいかない・ギスギスする、などの悖の象意が出てこれを「血淋漓」というとご本に書かれています。



 これを読んで、わたくしは胸中深く思い当たることがありました。
 何を隠そう、わたくしは日干が辛、月上が庚で、佐藤六龍先生が言われる「庚辛」の最も辛いとおっしゃる悖の関係を持っています。


 昨年、2011年は辛卯の年でした。
 わたくしは冬月生まれなので、命式の調候用神の丙が辛と干合。丙が壬に辛が癸に変化し、金寒水冷となって命式の庚辛の金が凍り付いてしまった一年でした。


 そのために、左目下の頬の顔面痙攣でボトックス注射をする羽目になりました。悖の関係、とくに金の悖は、病気、怪我に注意と言われる由縁です。


 ただ、わたくしは従旺格。
 悖の関係の庚辛でも、いずれも格式では比・劫喜神となります。
 このあたりが何とも言えない、我が宿命のジレンマ!
 わたくしと長年お付き合い頂いている方は、この辺りのことはよくお察し頂けると思います。


 しかし、心底思いますのは、四柱推命の年月日時に秘められた十干十二支の八字の深遠な哲理には、尽きない学理の面白さがあります。
 わたくしは以前より四柱推命(子平)は、十干の生剋制化を基本に自身の成敗と六親との人事百般を云々する神理の教えのひとつだと思っています。


 残念ながら紫微斗数は良く当たりますが、どうしてなのかという「why」を追求することが出来ません。
 もちろんわたくしの紫微斗数の技量が未熟なせいもあるかと思います。


 三月からの四柱推命研究会では、とくにこの干と干の関係、喜忌、順悖などに焦点をあてて皆様と共に勉強してまいりたいと思います。


 いまは亡き四柱推命のわたくしの恩師、亀石突風先生は、「四柱推命学は万人活学の学問」と常々おっしゃっていました。
 それはこれほどまでに深く一個の小宇宙である人間の本質を、ときには冷徹なまでにえぐり出す術はほかに見当たらないからだと思います。


 今後はそれを肝に銘じて、正しい四柱推命(子平)の普及に微力ではありますが力を注いでまいりたいと思っています。 



※「悖」とは、四柱推命で「順悖」という言い方をしますが、順とは干と干の関係の相性が良いもの、悖とはその相性が良くないものを言います。順悖は成敗には直接には影響しないとしますが、順は比較的楽に物事を成し遂げられるのに対し、悖は同じ結果を得るのに苦労苦難を伴うとされます。