神様の実存


 最近、仕事が忙しいのでブログから遠ざかっています。
 本ブログのカウンターを見ると、知らぬ間に数が増えているので、このようなブログでも読んで下さる方がおられ、ありがたいことと思っています。


 実は、昨日の文化の日、わたくしが平素お世話になっている一神会の勉強会が大阪で開催されました。


 ご本部より先生がお二人来られ、心に響くお話を拝聴できました。


 ここでその内容を公にすることはできませんが、ひとつだけ申し上げたいことは、親子・兄弟・夫婦・嫁姑・上司部下・師弟等、この世の絆はいろいろあります。


 この不思議な「縁」は、目には見えませんが、見貫き見通しの神様が同じ因縁通しの人々を結びつけておられるようです。
 それは何のためか?
 この世でのわたくしたちの魂の錬磨、向上のためです。
 

 人間は神様のいわば”作品”ですから、その作品をより良いものにするために、同じ人を使って磨いたりときには削ったりされます。

 
 あなたは有縁の人と、
 嫌うのも自由。
 不足を言うのも自由。
 離れるのも自由。
 争うのも自由です。


 でも、それで魂の向上が少しでも果たすことができればいいのですが、マイナスの感情では魂が向上するどころか汚れてしまいます。


 ことわざに、「罪を憎んで人を憎まず」とありますが、まさにそれと一緒で、「人を嫌わずその人の因縁を憎む」姿勢が大切です。


 憐れな人と逆に情けを掛けられるようになればたいしたものですが、そこまで行かなくてもまずは自分が前生その人と同じようなことをしてきたのだと思うことができればしめたものです。


 あなたの近しい人に嫌いな人がいたら、どうかその人の後ろ姿を拝んで下さい。
 あるいは自宅で就寝する前に、「○○さんがどうぞ心穏やかで良き人となりますように!」と祈ってあげて下さい。


 そうすれば、あなたの心に平安が訪れ、あなた自身もそのような良き人となるでしょう。


 神様の実存を疑ってはなりません。
 最後の最後の、神様の実存を信じて疑わない人だけが天国に行けるからです。