仕合わせなるは、ささやかなるが極上


 昨日ご紹介しました宇野千代さんの「幸福の法則一日一言」に、もうひとつ心に残る言葉があります。


  『病気が治ったとき、必ず思い出す言葉がある。いつかテレビを見ていた
  ときに、俳優の小沢昭一さんが言っていた「仕合わせなるは、ささやかなる
  が極上」という言葉だ。「そうだ。ああ本当だ。全くその通りだ」と私は思う。』


 因みに、この「幸福の法則一日一言」は元気を与えてくれる良書だと思います。海竜社から出版されています。
 

 わたくしたちは、分不相応の幸福は心の底から喜べないときがあります。
 自分の器の大小は、だいたい自分で知っているものだと思います。ですからその器に入りきれないような幸福は、遠からず自分の器からこぼれ落ちるということを感じるもので、そのときが来るのを憂え心配することがあります。
 

 〝僥倖(ぎょうこう)〟という言葉があります。
 思いがけない幸いとか、予期せぬ幸運とかいう意味ですが、わたくしたちはこの僥倖は追い求めないほうが無難で安心な人生を送れると思います。
 宝くじで一億円を当てたりするのは、まさにこの僥倖を得た人ですが、一億円を手にし
た人はその後の人生行路が大きく狂ってしまった方もおられるように聞いています。


 かつて、TV番組で、ナイトクラブや居酒屋で閑古鳥が鳴いていたお店が、ある有名な風水師の進言により支払いをするレジの位置を変えただけで、また五寸釘を何本かある柱に打ち付けただけでその日から千客万来の光景を放映していました。
 風水の驚くべきパワーをわたくしも感心して見ていましたが、こうした秘法秘術の類はいっときは威力を発揮するものですが、パワーの持続性、永続性は乏しいものが多いように思います。


 もしそうでなく、お店が何の経営努力をすることもなく、風水のみで繁盛し続けていたとしたら、その店の経営者が突然死するというようなケースをほかの例ですが耳にしたことがあります。
 TV番組では長期的な風水パワーの検証をしていなかったのが残念でしたが、安易にこうした秘法秘術に頼るのは何か怖いものがあるように思います。


 わたくしの尊敬します占術家の東海林秀樹先生のご著書「六壬神課占法要義」に次のような興味ある記述があります。


  『一生涯における各個人の財運の器の大小について、筆者の考え方を
  少し述べたいと思います。
   命理占の紫微斗数推命や子平八字(いわゆる四柱推命)などで審査し、
  紫微斗数推命では命宮や財帛宮(十二宮の言葉)の吉凶条件、子平八
  字においては通変星の財星が喜神になっているかどうかを調べます。
  財的要素が吉になる人は財を誘因する能力が比較的高く、つまり財の器
  のある程度大きい人と言えます。逆にそれらの占術で財運が悪い場合は、
  財の器は小さいと見ます。もし財の器が小さい場合は、その器を越えて
  物質運が上がってしまったときにかえって問題が起きやすくなるのです。
   つまり我々人間の生涯における米櫃の量はある程度決定されていると
  思います。一時に大きな物質や財貨を取り入れてしまったときに器の破壊
  が起きて、本人が病気になったり、家族に問題が出たりととにかく何かが
  発生します。何事も人間は適量がよいのです。』


 「仕合わせなるは、ささやかなるが極上」ということは、幸田露伴の唱えた〝惜福(福を使い果たしたり取り尽くしてしまわないこと)〟の思想に通じるものがあると思います。


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    詳しくは、前々回の本ブログを参照して下さい。