長男が養子に出るのは怖ろしい・・・


 たまたま阿部泰山先生と並んで、斯界の大御所的存在である初代・高木 乗先生の生い立ちが掲載されているサイトを見て、気になることがありましたのでお話し申し上げたいと思います。


 まずは、以下をお読み下さい。
 とくに、長文ですので青字のところだけでもお読み下さい。



  <高木 乗>(初代) 四柱推命学、「命理学会」会長、元新聞記者、刀剣鑑定家、
            詩人。


   ●たかぎ・じょう
   ●1879年(明治12)4月20日亥刻生まれ。
   ●出生地:水戸市根積町外四丁目。
   ●本名 : 清水孝教(たかのり)。また、詩人としては清水橘村(きっそん)の
         ペンネームを持つ。


 ●家系:
  清水孝義・まつの長男として出生。
  父:清水孝義。(清水介三郎孝義)弘化3年8月3日(西暦1846年9月23日)
  生まれ。(戸籍では) 水戸市根積町外四丁目の市長(茨城県辞令)。後に開拓者
  となって、茨城県東茨城郡橘村に移る。(※根積町は現・柳町水戸駅から東南東
  に1㌔の辺り)母:清水まつ。弘化4年5月7日(西暦1847年6月19日)生まれ。
  (戸籍では)祖父:清水孝繼。京都二条城の武芸師範であった。
  高木乗(清水家)の祖先は常陸太田地区の出身で、古い云い伝えでは平将門
  一族であったとされています。曾祖父三代前の人は大変博学な人で、もと神官
  から士分に取り立てられています。祖父は明治維新前に、京都倉奉行の中の重役
  になり、死んでからは皇居墓所である、京都月の輪湧泉院の中の一院の、しかも
  3歳で亡くなった明治天皇の姉君の御墓所の真ん前に葬られたとのことです。
  この祖父は八宗兼学の人で、鎗、矢弓、鉄砲などの師範役にもなっていた人
  でした。高木乗(清水孝教)は、清水孝義・まつの長男として出生したものの、
  一人腹違いの姉がいて、その姉に養子を迎へて実家の清水家を譲っています。…


  【時事新報の記者時代の話】
  高木乗が占術にのめり込むようになった切っ掛けが観相の大家・櫻井大路との
  出会いにあった。
  新聞記事で何か面白い読み物を、東京日々新聞の娯楽面に組めないものかと、
  編集部で案を出すことになった。そこで当時、評判になっている東京在住の占術
  家の特集を組もうという企画が上がり、占いには手相・人相・家相・易・墨占い・
  算命術・水晶占い・九星気学占星術等があり、それぞれの占術を得意とする
  占術家の記事を、毎週連載することとなった。その企画記事のチーフに清水孝教
  (高木乗)が当たることになったのである。
  その特集の最後に、人相の大家・櫻井大路の原稿を取りに行った帰り際に、
  清水孝教(高木乗)は何気なく櫻井大路にこう尋ねた。「ところで先生、これから
  私はどうなるのでしょうか?」その時は既に夕方であったので、玄関先で、大路は
  しばらく眼鏡越しに清水孝教(高木乗)を見ていたが、「薄暗くてハッキリ見え
  ないが(顔が)、君は子供さんを1・2年の内に亡くすかも知れない。それに新聞
  記者も辞めるだろう。」と言った。
  清水孝教(高木乗)はその言葉を聞いて、「当たるも八卦・当たらぬも八卦とは
  良く言ったもんだ。冗談も休み休みに言え。子供は風邪どころか病気一つした
  ことがない。自分の仕事も油が乗って、バリバリやっている。でたらめも良いと
  ころだ」と、カリカリしながら櫻井大路の門を辞した。
  後述するように、それから一年、長男、続いて次男を失い、そして間もなく新聞社
  を去る事になる。
  また、高木乗自身も後年、人相を研究し、『人相の秘鍵』という
  本を執筆している。そして、高木乗もかなり人相も出来るようになったが、恩のある
  櫻井大路の手前、大路に対して礼を失するといけないということで、手相は前面に
  出さずに、四柱推命を表看板としたとのこと。・・・

  
  <※出典資料:「初代高木乗にみる父子相尅」(西村登著、1989年05月25日)>
  1919年(大正8)、長男(明治36年3月6日午前7時生まれ)を亡くす。
  この事がきっかけで四柱を研究し始めます。
『生まれ日の神秘 四柱推命学』に
  よると、17才で長男を亡くしたことで、悩みの中、高木乗は精神的遍歴をします。
  キリスト教、様々な宗教書、児童教育、児童心理学、哲学、天理教、参禅、姓名学、
  人相学、九星と精神的・宗教的世界や様々な占術に解決を求めましたが、彼の悩み
  を解決してくれるものはなかったのです。


  →http://www.interq.or.jp/chubu/sarai/sub02-02-TakagiJ1.htm
  (以上、五行学研究所ホームページより抜粋させていただきました)


 
 さて、死因は不明ですが、父親としてまだ未成年の息子さんをふたりも亡くされた悲劇はわたくしも二児の父親ですからよくわかります。


 先生の四柱命式も掲載されていますので、ご紹介しますと、

  時 日 月 年
  比 日 正 偏    
  肩 干 官 官      
  癸 癸 戊 己    
  亥 酉 辰 卯    


という命式で、大運:庚申、歳運:己未の年にご長男を亡くされたということです。


 僭越ながら、わたくしなりの命式の判断をさせていただきますと、月上の戊の正官は子供の星でありますが、それが日干と時上の癸と妬合になり、エネルギー的にはかなり弱くなります。

 
 卯辰東方合の半会、亥卯の木局半会とあり、地支はかなり五行では木の勢いが強いです。
 木は食傷となり、子星の官殺を剋傷することになります。
 また本命式には財星(火)がないので、総合して子女縁は薄いと思われます。


 しかし、だからと言って、お子様が早世されるとは言い過ぎであり断定はできません。
 お子様の生死にかかわることは、まずお子様自身の命式を第一にみるべきであり、
その次に大きく関与するのは、母親の命式、次いで(三番目)に父親の命式であると考えています。


 本命式は、癸日生まれですから庚・辛が用神となり、旺盛な木(食傷)の勢いを抑えて、また戊・己と日干癸の間の通関として、かつ癸の水源として金は有用な星となるはずです。
 したがいまして、本来、大運の庚申は吉運のはずです。


 事実、ご長男を亡くされたことを契機として、四柱推命の世界に足を踏み入れて、後世に名を残す業績をあげられることになったというのは、やはり吉運ではなかったかと思います。


 さて、わたくしが申し上げたいことは、ここからです。

 
 神理の教えでは、長男は後継ぎとして生を受けたのであり、いかなる理由があっても他家(親戚でも)に養子に入ってはなりません。


 長男が他家に養子に出て、その家に他から男子を養子として迎えたら、必ずその家は断滅します。
 つまり、長男が養子に出た時点で、断滅因縁の種が蒔かれたということになります。


 断滅因縁の怖いのは、男子がその家系で続かないということです。
 つまり男子が産まれても、早世するか、女の子ばかりしか生まれないということになります。
 また自分の代では何ともなくても、子や孫の代に不幸な出来事が現れてくることです。


 四柱推命は優れた命術で、六親縁の厚薄や吉凶もことごとくわかると言われていますが、確かに縁の厚薄はわかっても、寿命や生死にかかわることを云々するのは、勉強不足と言われるかも知れませんが、わたくしにはそこまでの鑑定技量はありません。


 しかし、四柱推命や他の占術などまったく知らなくても、先程申し上げました、「長男が養子に出るとその家は男子が続かなくなり三代の内に断滅する」ことは、神理の法則のひとつの「順序の理」の教えですから、それを知っていれば子供が早世した理由も理解できますし、もし、事前に神理の教えを学んでいれば、そうした不幸は回避できたであろうと思うのです。


 神理の教えは単なる因縁話ではありません。
 この世の大法則であり、これを知らなければ本当の幸せを得ることはできないでしょう。