四柱推命は冷たい占いだが・・・


 四柱推命は冷たい占いであるとよくいわれます。
 わたくしもそうだと思います。


 では、どうして、四柱推命で鑑定看命した結果、冷たいといわれる、つまり厳しい結果が多いのかということですが、それにはわたくしは二つの理由があると考えています。


 まずひとつは、四柱推命の理想とする人物像は、聖人君子のような人格高潔にして器量広大、完全無欠のような人格者をもって成格とか、正命という有徳の人士と認定するからです。


 わたくしを含めたその他大多数の一般庶民はそうではないので、当然、四柱推命でみた結果、よくないということになってしまいます。
 ですから、四柱推命でみた結果、よくないといわれてもあまり深刻になる必要はないともいえるのです。
 問題なのは、かなりよくないという重傷の人です。

 
 もうひとつ考えられるのは、四柱推命は人間の先天的なものをみる占術で、持って生まれた性質、性格、先天的な福分、徳分の厚薄をみるのが四柱推命の眼目です。


 そして、こんなことをいってはまことに申し訳ないと思いますが、わたくしを含めて、いまこの世に生きている人は、ほとんどよい因縁を持っている人は少なく、悪い因縁を持っている人が多いということです。
 ですから、どうしても四柱命式を出してみてもよくない命式の人が多いということになります。



 さて、四柱推命は自分の至らなさ、短所を真摯にみつめる占いだと思います。


 自身の反省材料として、どこをどう改善すれば運命運勢がよくなるのかということを指摘してくれる占術です。


 ときには、手厳しい、今生一代では、とてもできそうにもない改善要求を突きつけられることもあります。


 でも、逃げれば、そこで終わり・・・
 今生は、なんとか生きていくことができたとしても、次の世、生まれ変わったときは、前生の人生の借金に利息まで付いて、それを背負って生まれてくることになります。


 子供の躾や教育も同じだと思いますが、癖やよくない習慣は改め、長所や美点は磨き伸ばしていくのが大切です。
 四柱推命もそれと一緒で、自身の運命運勢上の欠点を指摘してくれるのですから、それに目を背けることなく、まずは心の底から深く自覚する必要があります。


 この世に偶然はないといわれています。
 因果応報という言葉がありますが、原因と結果の法則が厳然としてあるのがこの世です。


 よくない運命運勢を背負って生まれてきたというのも、偶然ではなく、また誰の責任でもなく自分の責任であることをよくよく自覚し、社会が悪い、景気が悪い、親が悪い、先生が悪い、○○が悪い、・・・、と他人に責任転嫁する愚を犯してはなりません。


 このような心構えを持って、四柱命式に表れた四柱八字を自身の運命運勢の診断書として活用すれば、万巻の書を読んで心の修養に励むより価値あることだと思っています。


 わたくしの教室の生徒さんがよくいっておられるのは、「もっと早く、四柱推命や神理の勉強をしておけばよかった・・・」という後悔の言葉ともとれることを発せられることがあります。


 江戸時代末期の儒学者である佐藤一斎先生の著書「言志四録」に、

   少にして学べば則ち壮にして為すことあり
   壮にして学べば則ち老いて衰えず
   老いて学べば則ち死して朽ちず


 とあります。


 思い立ったが吉日です。
 暗記力や記憶力が衰えても、人生経験の豊富さ、咀嚼力は年を経るごとに増してきます。


 四柱推命の習得は決して易しいとは思いませんし、向き不向きもあると思います。 
 でも、肝心なことはそれよりもやる気、熱意です。
 でも、いまから四柱推命の勉強はどうも・・・、という方は、是非、神理の勉強だけでもしていただきたいと願っています。