メンタルヘルス講習会


 先日、メンタルヘルスの講習会を受講してきました。


 IT社会の到来とともに、世の中の仕組みがどんどん複雑化し、人と人との触れ合いが減って行きました。


 わたくしも、ほぼ毎日、メールは見ますし、インターネットも利用していますが、これらのIT導入で、仕事は確かに便利にはなったものの、社内外の人とのコミュニケーションが減ったように思います。


 ITというデジタル社会が浸透していくにつれて、逆に心の問題を抱える人が増えて来ました。


 
 さて、この講習会ではいろいろと有益なお話を拝聴できました。


 なかでも大切と思ったのは、メンタル的な「声掛け」です。


 上司が部下に、気遣いながら声を掛ける。
 そのとき掛ける言葉は、この三つが良いと教えて頂きました。


 「どう?」
 「大丈夫?」
 「いけてる?」


 部下の仕事のことを気遣う言葉使いです。


 そして、そのときの部下の顔色はどうか?、服装の乱れはないか?、なども確認して、いつもと違うように感じたら、さらに突っ込んで尋ねるとか、休養を勧めるとか、医者へ行くことを勧めるとか・・・、をすることが大切ということです。


 
 一神会でも、良い声掛けは、「肥掛け」となって、その人を育てることになると教えて頂いています。


 親が子に、先生が生徒に、上司が部下にこの「肥掛け」を実践していくことが、いま何より大切かも知れません。 

四柱推命研究会、いよいよ開講!


 いよいよ、3月3日から芦屋占い処・占風鐸で四柱推命研究会をはじめます。


 意識したわけではありませんが、たまたま3月3日の雛祭りの節句の縁起の良い日からのスタートとなりました。


 四柱推命の教室は四年ぶりの開催です。
 この間、紫微斗数の勉強をし、再度、四柱推命に戻って他流派の諸先生方の看命法も学んでまいりました。
 

 紫微斗数占星術の素晴らしさや、透派の内格、外格の判定法の簡潔明瞭さの中にもその高い的中率を見出すことができ、大きな収穫の年月であったと思っています。


 この研究会は、すでにこれまで四柱推命を勉強された方を対象とし、中にはプロの占い師の方もおられます。


 研究会ですから、四柱推命のイロハを順番に講義するのではなく、毎回何かテーマを決めてやりたいと思っています。
 が、脱線して話が横道に逸れることもあるかと思います。
 まぁ、それも、また楽しいでしょう・・・。


 論語に、
  『学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、
        思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)。 』


とあります。


 自分ひとり書物で独学するのも良いですが、その学んだことを実践的に用いたり検証したりしていかなければなかなか身に付きません。
 また、自分が学んだこととは違う理論や考え方を、他の方からお聞きするのも参考になるものです。

 
 この四柱推命研究会は、参加者同士互いに切磋琢磨して技量を磨いていく場にしていきたいと願っています。



 さて、わたくしが、いま、興味があることのひとつは、内格と外格の判別の仕方です。
 泰山流の四柱推命は、ほとんど内格でみて外格を採用するのは極めて稀といえると思います。


 わたくしの師であった大乗推命学会の亀石突風先生は、「外格のみかた(看命法)はそんなに勉強しなくてもよい。ほとんどの人が内格だから、ごく一部の人にしか当てはまらない外格のみかたを勉強するより、内格のみかたの精度をあげるほうが大切・・・」というようなご発言をお聞きしたこともありました。


 そのときは、わたくしも素直に、「そうだなぁー」と思ったものです。


 しかし、透派の四柱推命を学んでからは、この考え方には申し訳ないことですが賛成できなくなりました。


 透派の四柱推命は、外格をかなりの割合で採用するからです。
 割合的には、統計をとったことはありませんが、20%前後の人が内格ではなく外格になるのではと思います。


 実は、わたくしの命式も泰山流では内格身強でしたが、透派では従旺格となります。
 道理でどうも大運後天運がおかしいな? と長年思っていましたが、透派はほぼピッタリと合っています。
 これは、紫微斗数でみた大限(四柱推命でいう大運)とも合致していました。


 ただ、同じ透派の四柱推命でも、先生によって、内格と外格の判定法といいますか計算の仕方が違いますので本当に戸惑うところです。


 本研究会では、参加者より実在の方の四柱命式をご提案頂いて、泰山流でみた場合、また透派でみた場合の比較を、そして同じ透派でも内格と外格の判別の計算法が違いますので、その違いの検証もしてみたいと思っています。


 自分でいうのも何ですが、このような占いの教室はあまりないのでは? と思っています。


 いまから、とても楽しみです!!

防災対策


 先日、防災対策の専門家の方のお話をお聞きする機会がありました。


 昨年の東日本大震災で、津波や浸水の防災対策にも思いを巡らす必要が出てきました。


 専門家の方のお話で、何点か、「なるほど!」と思ったことがありますので、それをご紹介させて頂きます。

 
津波対策で海岸から何キロ離れているから大丈夫・・・、という考え方は間違いです。大切なのは「高さ」で、海抜何メートルあるかということ。


②断層のあるところは一般的に危ないといわれているが、断層がずれるのはだいたいどちらか一方の側だけなので、ずれない側は大丈夫。これは地図で確認できる。


③河川の近くの立地は、河川の右か左か、あるいは上か下かが大事。
 たとえば、淀川は、右側(下側)が北区、中央区大阪市の主要都市があり、左側(上側)はそうではない。
 堤防等の防災対策は、淀川の場合はこの右側(下側)に重点的に整備されている。よって右側(下側)の立地はより安全ということ。



 これから引越などで転居先を探すときに、その立地の防災上の優劣も考えなくてはならない時代となりました。

買えるは変える


 一神会の先生にお聞きしたお話です。


   『お金は何でも買うことができます。
   “買える=かえる=変える”という理です。
   人様を良き方向に変えてあげたいと願う誠のひとつは、
   「おつなぎ」です。』


 お金は、「買える=変える」で、良き使い方をすると運を好転させることができます。


 また、どなた様でもひとりやふたり好きになれない人(はっきり言いまして嫌いな人です)はおられると思います。


 でも、身内や職場でそうした人とどうしても付き合っていかなければならない場合は相当な苦痛を伴います。


 人によっては、ストレスで身体に不調が出てくる場合もあるでしょう。


 そうした波長が合わない人を、良き方向に行きますようにと、誠の気持ちで神様に変えて頂く方法のひとつが、これです。


 その人のために、おつなぎをする。


 わたくしもこれを、日々、実践しています。


※気を付けて頂きたいのは、自分のいたらなさをまず反省し、それを改める努力をすることは忘れてはなりません。(難しいかも知れませんが)
 また、波長が合わない人を憎んだり、恨んだりは絶対になさらないで下さい。

もっと、頑張らねば!


 先日、芦屋占い処・占風鐸へ、ご遠方のところ、わざわざ新幹線でお二人の美しい女性の方がお越し下さいました。


 「二年前より、風州先生のブログを愛読させて頂いています!」
 「いつか、是非、お会いしたいと思いつつ、やっと念願が叶いました!」


とおっしゃられ、わたくしも少し顔がほころぶのをこらえつつ、大変有り難く思いました。
と同時に、それなりの責任を感じました。


 わたくしのような、またまだ浅学非才の者の文章でも、楽しみに待って頂いている読者の方がおられる・・・
 もっと、頑張らねば! と、そのとき思わせて頂きました。


 以前、東京で鑑定させて頂いた男性の方は、わたくしのメルマガを全部印刷して、何度も読ませて頂いていますと言われ、ファイルに閉じられたそのメルマガをご持参下さいました。


 わたくしに鑑定を依頼される方は、大なり小なり、わたくしの信条や価値観に共感を覚えて頂いている方と思います。
 ですから鑑定も比較的スムーズに運ぶことが多いです。
 飛び込みの鑑定受付をしていないメリットは、このようなところにもあると思います。


 わたくしは四柱推命で官印の従旺格。
 (官はキズとなりますが、調候喜神でもあります)


 メルマガやブログにも、自分で言うのも何ですが、生真面目さが漂っていると思います。反対に、くだけた文章を書くのは苦痛です。文章は如実に性格が出ます。



 さて、わたくしのメルマガやブログは宗教色が感じられ、違和感を覚えたり閉口する方もおられると思います。


 しかし、わたくしがお話していることは宗教のお話ではありません。
 神理(真理)のお話です。


 どうかその辺りのことをよろしくご理解の程お願い致します。


 また、鑑定に来られた方に、一神会のお話をさせて頂くこともありますが、勧誘などは一切致しませんので、どうぞご安心下さい。


 現在、一神会の会員信徒になるのはハードルがかなり高くなったようで、誰でも入会できるところではなくなりました。
 “良い人”か、“神様のお役に立てる人”しか、入れなくなりました。


 数々の天啓文書がある一神会です。
 「ふしぎな記録」第九巻 第二神伝記などを読まれれば、心ある人は神様の御恩を身にしみて感じられると思います。


 折角、日本人に生まれて、この神理の教えを学ばずして年老い亡くなることは、誠にもったいないことと思っています。 

仏壇


 きょうは京都へ参りました。
 西本願寺近くの仏具店で、自宅に置く仏壇を見に行きました。


 実家には結構立派な昔ながらの仏壇がありますので、ときどき実家に戻ったときに線香を供えて手を合わせていました。
 それで、わが家には長らく神棚はあっても仏壇はありませんでした。


 ある方に言わせると、長男であるわたくしの家に仏壇がないのはご先祖様に対して申し訳ない・・・、ということらしいです。(そう言われれば??で、反省しています)


 去年の夏くらいから娘が体調不良となり、いまも学校を休んでいる状態なので、良いと思うことはできるだけ受け入れようと思って購入に踏み切りました。


             
                これに決めました↑


 有り難いことに紹介して頂いたお店で、価格はかなり勉強して頂くことができました。


 これでわが家には神仏(神棚と仏壇)が揃うことになります。


 なんだか、陰と陽? が揃ったような感覚です。


 最近は洋風の家が多く、和室が無かったりする家(わが家もマンションでそうです)が多いので、リビングなどに置ける家具調の仏壇が増えているようです。


 仏具店の帰りに西本願寺様にもお参りさせて頂きました。
 因みに、わが家の宗旨は日蓮宗ですが、参拝はこだわりません。


        


 もとより深く会得したわけではありませんが、浄土真宗で言われている、「他力本願」の本当の意味もわかりました。


 親鸞聖人様に感謝申し上げます。
 南無阿弥陀仏・・・

明るい人


 わたくしの本名は、田中宏明といいます。


 苗字も名もありふれた名前で、この名前で検索して頂くと、いっぱい画面に出てくると思います。


 親が付けてくれた名前だから、大切にと思っていましたが、一神会で月日の教えを学んでから、良い名前を付けて頂いたと親に感謝するようになりました。


 「明」という字は、左(向かって右)に「月」様、右(向かって左)に「日」様を書き、月日、陰陽が仲良く並んだお姿です。
 

 この明という字には深い意味がありますが、ご興味のある方は、わたくしが常々お奨めしています「ふしぎな記録」の書物をお読み下さい。



 さて、明るい人、明るい家庭、明るい世界、・・・。
 明るいというのは気持ちまでも文字通り“明るく”なって来ます。


 明るい人は好かれますし得だから、自分もいつも明るく振る舞いたい・・・、明るく暮らしたい・・・、と思っている方は多いと思います。


 でも、性格的に落ち込みやすい人や気分の変化の激しい人はどうしたらよいのか?
 なかなかいつも明るい気持ちでいられるのは難しいですね。



 一神会の月日の教えで学んだことは、


 「明ければ(あければ)、明るく(あかるく)なる」ということです。


 よく、「夜が明けた(あけた)」といいますね。


 暗闇の世界が日の出とともにだんだんと明るくなる・・・
 そうです。
 明けた(あけた)のです。
 夜が明けたから、明るくなったのです。


 “あけること”、“あげること”、“与えること”をした人が明るくなるのです。


 反対に、ほしがるばかり、とりこむばかり、しめるばかりで、あける(あたえる)ことを知らない人は絶対に明るくなれません・・・。


 と教えて頂いています。



 物やお金がなくても、たとえば笑顔だけでも人様にプレゼントすることは可能です。


 自分は何を人様に与えることができるか、させて頂けるかを考えて、いつも明るい人になるように心掛けていきたいものです。