真の幸せ者


 以前、日頃、わたくしがお世話になっている一神会で、神様の実存を悟ることの大切さとその難しさのお話をお聞きしたことがあります。


 この世に赤子として生まれ、人並みに育ち、平均80年(長い人では90年)無事に生きて、最後の最後は、皆、あの世からのお迎えが待っています。


 その臨終のときに、後悔してもはじまらないのは、”神様の実存を悟ることが出来たか?” だと思います。


 多くの日本人が正月には初詣をし、受験のときは合格祈願、結婚前は良縁成就の祈願、決まれば神前で挙式、子供が生まれたらお宮参り、また七五三・・・、というように神様には生涯お世話になっています。


 わたくしも偉そうなことはとても言える身分ではありませんが、多くの方は、”神様は居られるものとして”、”どこかに存在しておられるはずとして”、あるいはまったくそのようなことも考えずに無意識に、手を合わせ頭を垂れておられるのではないでしょうか。


 まことに失礼ながら、本職の神職、僧侶の方でも、本当に神や仏の実存を悟れた方は数少ないのでは? と思います。


  あぁー、やっぱり、神様は居られたっ! 
  

 この一事(それはそれは大変な事ですが)だけでも、身をもって体験し悟れた人は真の幸せ者です。徳人です。それだけで、生まれてきた意味があったと思います。

幼心を打ち捨てて・・・


 毎週、楽しみに見ている、よみうりテレビの「たかじんのそこまで言って委員会」に、きょうは(2/5)、元総理の安倍晋三氏が出演されていました。


 その中で、阿倍元総理は、地元の萩市立明倫小学校で、一年生の児童が次の吉田松陰先生の言葉を唱和していると紹介されていました。


    『今日よりぞ 幼心を打ち捨てて         
         人と成りにし 道を踏めかし』


 詳しくは次の萩市立明倫小学校のホームページをご参照下さい。
  http://edu.city.hagi.lg.jp/meirin-e/


 この言葉を小学一年生の児童が唱和しているというのは、正直驚きました。とともに、これは迷える大人の開運のためにも素晴らしい言葉だと思いました。


 小学一年生の6,7歳の児童では、とてもこの内容は分からないと思いますが、それでも、「読書百遍意自ずから通ず」で、知らず知らずのうちにその子の魂には記憶され、その後の人格形成に少なからず役立つと思います。



 さて、よく占いの教室や鑑定をしていて聞かれるのは、「こんなに良くない運命の人はどうしたらいいのでしょうか?」という質問です。


 占い専業者は、開運法としてよく方位を使ったり、あるいは風水を取り入れることを勧めたりしますが、わたくしはそれは消極的です。


 松陰先生のお言葉をお借りするなら、前記の「今日よりぞ 幼心を打ち捨てて」ではなく、「今日よりぞ ”これまでの自分”を打ち捨てて」というくらいの覚悟がなければ、とても本当の開運は覚束ないと思いますし、いまの逆境はなかなか好転しないでしょう。


 新しく生まれ変わるくらいの気持ちでなければ駄目だということです。
 

 わたくしが平素お世話になっている一神会で、「先生」とは、「先に生まれ変わった人」、つまりすでに因縁解脱が出来た人か、少なくとも因縁自覚が出来て、その因縁解消や転換のための努力をしている人と教えて頂きました。


 「・・・先生」と呼ばれる人は世間に五万とおられますが、本当の先生と呼ばれるのに相応しい人は、さてさて日本にどれくらいおられるでしょうか?

学理の追求


 立春を迎え、四柱推命では暦がやっと壬辰になりました。
 天空では日一日と、春の気配が徐々に色濃くなってくるのでしょうが、地上ではまだまだ凍り付く寒さの毎日です。


 さて、最近は、透派の平岡滴宝先生のご著書、「子平学 四柱推命法深書」と「秘本 子平廣論」を熟読させて頂いています。


 3月からの芦屋・占風鐸での四柱推命研究会の開催もあって、再度、平岡先生のご著書を丁寧に読ませて頂いています。


 著名な透派の先生方のご本を他に5、6冊持っていますが、大変分かりやすくて奥が深いのがこの平岡先生の上記2冊のご本と思います。


 すでに平岡先生はご他界されていますが、生前はわたくしの会社のある大阪市都島区で鑑定や教授をされていたようで、生前にお目に掛かれなかっのが残念です。


 ご著書を通しての勉強となりますが、この手の専門書は後世の斯学愛好家の厳しい評価の対象にさらされますので、著者は執筆当時、最新の注意で最大限に知恵を絞って書かれたものと推察します。


 よく、「秘伝や秘法は本には書かない」と言われますが、本当にそうでしょうか?


 人間誰しもプライドがあり、世間の自分に対する評価を気にするのが人間です。まして本を世に出すような方は、普通の人よりも自己顕示欲が強いと思います。
 少しでもより優れたものを、いままで以上の良書を世に出したい・・・と思うのが作者ではないでしょうか。


 わたくしは、本にこそ、その著者の考え方や理論理屈、少し大袈裟に言えば人格まで一字一句に込められていると思っています。


 ですから、この手の座学は、まったくの初心者は別として、ご本で勉強するのが得るところ大であるようにわたくしは思っています。


 日本では四柱推命の流派によって、いろいろと異なった命式分析をされています。
 多くの四柱推命愛好家の迷われるところです。
 過去のわたくしもそのひとりでした。
 このままでは良くないと思っていますが、長い目で見ますと、自然淘汰の理で人の役に立たないものは淘汰されていくでしょう。


 ここは宗教と同じで一宗一派に偏らない寛大な心で、どこの考え方や理論、さらに看命方法が優れているかを比較検証しながら学ばれるのが大切ではないでしょうか。


 師を敬うのは礼儀ではありますが、四柱推命をひとつの学問としてとらえるならば、学理の追求こそもっとも尊ぶべきことと思います。

日々の理、月々の理


 本日は、芦屋・占風鐸で三月より手相講座をお願いしています、藤田和久先生とランチを一緒に頂きました。


 とても気さくな先生で、最近はレッスンや鑑定で東奔西走、大変ご多忙のようです。


 ランチのあとの紫微斗数のグループレッスンも聴講させて頂きました。最新の台湾での紫微斗数の考え方を教えて頂き、とても有益な時間となりました。


 お聞きした中でもっとも為になったのは、太陽、太陰の両星のみ輝度を重視し、それ以外の主星の輝度はみない(重視しない)というのが、現在の台湾・紫微斗数の考え方ということをご教示頂きました。


 これは見方を変えれば、どんな命盤でも太陽、太陰の輝度が大切だ・・・ということの示唆とも取れます。


 わたくしたちは、毎日、お日様とお月様の恵みをもの凄く頂いていますから、この考え方はとても納得できる理屈だと思います。



 さて、わたくしが平素お世話になっています一神会の教えでは、お日様は、「日々(にちにち)の理」受持ちであり、お月様は、「月々の理」受持ちであると教えて頂いています。


 紫微斗数命盤でとくに太陽、太陰の輝度がよろしくない方は、そうではない方に較べて運命上の起伏が大きかったり、挫折や失敗の多い人生が考えられます。


 わたくしごときがこのようなことを申し上げるのは何ですが、そのような方は、どうぞ「日々の理」に適った行い、また「月々の理」に適った行いをされたらよろしいかと思います。


 たとえば、「日々の理」に適った行いとは、毎日毎日、トイレ掃除をするなどの良き事を実行する。「月々の理」に適った行いとは、毎月毎月、良き所にお参りするとか、慈善団体、NPO等に寄付をするとか、世の中のためになるような行いをする・・・、などです。


 「継続は力」なり、これは絶対の真理です。
 どんな人でも、必ず運が良くなり、人生を切り開く原動力となるのがこの「継続心」です。


 本日の藤田先生の講義を拝聴していて、ふと、心に浮かびました。
 いかなる命盤の人でも、決して諦めたり落ち込む必要はありません。人が見捨てても、神様は見捨てるようなことはありません。


 一神会御神言に、

 
     「苦しいか 難儀かな 早く来い
                  神の手招き 分からんか」


とあります。


 神様が、早く、来いとおっしゃっているのです。


 しっかりと神様にしがみついていけば大丈夫です。
 いかなる命盤の人も、希望と勇気を持って、前進しましょう!

本当に幸せな人とは・・・

  『本当に幸せな人というのは、お金が必要なときにお金が入って来て、
  病気になっても治って良くなり、必要なときに必要なものが入って来る
  人のことを言います。』



 わたくしが日頃お世話になっています、一神会の第二御縁日(1月21日)でのお話の一部です。
 とても印象深いお言葉、心に残りました。
 皆様にもお読み頂ければと思い、掲載させて頂きます。
 お伝え頂いたN様、有り難うございました。

血淋漓


 昨年12月、芦屋に占風鐸という占い教室兼鑑定所を設けさせて頂きました。


 すでに紫微斗数の教室やタロットの教室として、また会員の皆様の忘年会、新年会にと多目的に使わせて頂いています。
 時間を気にすることなく使えるのが何よりです。


 お陰様で、三月からの藤田和久先生の手相講座、またわたくしの四柱推命研究会も定員になりお申し込み締め切りました。有り難うございます。


 また時間に余裕が出来ましたら、初歩からの四柱推命の講座も開講させて頂きたいと思いますのでご興味のある方はお問い合せ下さい。



 さて、最近は、佐藤六龍先生のご本をよく手に取っています。
 ご存知のように佐藤先生は透派の四柱推命の大御所的存在の方で、占術関係の著作は群を抜いています。


 最近、購入した「そこが知りたい四柱の秘伝」佐藤六龍・口述、本間凡鯉・筆録という本は、読者の質問に答えるという対談形式となっています。
 この本はわたくしに透派の四柱推命(子平)の素晴らしさを再確認させてくれた本になりました。

 

 この本を読み進めると、「血淋漓(ちりんり)」というちょっと忌まわしい言葉が目に付きました。


 聞いたことがない言葉なのでインターネットで調べると、「血がしたたり落ちる」というようなニュアンスの言葉で、言うに言えない辛さ苦しさを表す言葉のようです。


 佐藤先生は、四柱推命の干と干の関係の中で、とくに、


 「丁辛、庚庚、庚辛」


の三つが、悖(はい)※の中でも最も辛い干関係で、庚辛の人は周りと円滑にいかない・ギスギスする、などの悖の象意が出てこれを「血淋漓」というとご本に書かれています。



 これを読んで、わたくしは胸中深く思い当たることがありました。
 何を隠そう、わたくしは日干が辛、月上が庚で、佐藤六龍先生が言われる「庚辛」の最も辛いとおっしゃる悖の関係を持っています。


 昨年、2011年は辛卯の年でした。
 わたくしは冬月生まれなので、命式の調候用神の丙が辛と干合。丙が壬に辛が癸に変化し、金寒水冷となって命式の庚辛の金が凍り付いてしまった一年でした。


 そのために、左目下の頬の顔面痙攣でボトックス注射をする羽目になりました。悖の関係、とくに金の悖は、病気、怪我に注意と言われる由縁です。


 ただ、わたくしは従旺格。
 悖の関係の庚辛でも、いずれも格式では比・劫喜神となります。
 このあたりが何とも言えない、我が宿命のジレンマ!
 わたくしと長年お付き合い頂いている方は、この辺りのことはよくお察し頂けると思います。


 しかし、心底思いますのは、四柱推命の年月日時に秘められた十干十二支の八字の深遠な哲理には、尽きない学理の面白さがあります。
 わたくしは以前より四柱推命(子平)は、十干の生剋制化を基本に自身の成敗と六親との人事百般を云々する神理の教えのひとつだと思っています。


 残念ながら紫微斗数は良く当たりますが、どうしてなのかという「why」を追求することが出来ません。
 もちろんわたくしの紫微斗数の技量が未熟なせいもあるかと思います。


 三月からの四柱推命研究会では、とくにこの干と干の関係、喜忌、順悖などに焦点をあてて皆様と共に勉強してまいりたいと思います。


 いまは亡き四柱推命のわたくしの恩師、亀石突風先生は、「四柱推命学は万人活学の学問」と常々おっしゃっていました。
 それはこれほどまでに深く一個の小宇宙である人間の本質を、ときには冷徹なまでにえぐり出す術はほかに見当たらないからだと思います。


 今後はそれを肝に銘じて、正しい四柱推命(子平)の普及に微力ではありますが力を注いでまいりたいと思っています。 



※「悖」とは、四柱推命で「順悖」という言い方をしますが、順とは干と干の関係の相性が良いもの、悖とはその相性が良くないものを言います。順悖は成敗には直接には影響しないとしますが、順は比較的楽に物事を成し遂げられるのに対し、悖は同じ結果を得るのに苦労苦難を伴うとされます。

わが祖父、下田益三

 昨日は名古屋能楽堂を訪ねました。
 とても立派な能楽堂です。


       
                 <名古屋能楽堂前にて>


 名古屋城の正門前の広々とした落ち着いた環境のところにあり、さすが尾張名古屋は芸術文化に力を入れているところだと感心しました。


 いま、この能楽堂で、わが祖父、下田益三とその子(私の伯父)下田雄三が収集、書写した能楽に関する貴重な資料が展示されています。(1月31日まで開催)
 ●名古屋能楽堂
 http://www.bunka758.or.jp/scd24_top.html


 展示品の中には、本阿弥光悦の謡本(原本)や、昨年の12月28日の中日新聞で紹介された「能面打略系」(能面120種類の髪や目の描き方、特徴をスケッチ入りで25ページにわたって詳述)などもありますので、能楽にご興味のある方は一見の価値はあるかと思います。


       
                <2011.12.28 中日新聞掲載記事>


 さて、実は、下田益三は、わたくしの父方の祖父です。
 昭和6年に44歳で早世。したがいまして、わたくしの父もまだ5、6歳であったので、益三の生前のことについてほとんど父から聞かされたことはありませんでした。
 昨日はいろいろな展示品を見て、あらためて祖父、益三が能楽に強い情熱を持っていたことを知り、感慨もひとしおでした。


 元々、下田家は、先の中日新聞の掲載記事を引用致しますと、『下田家は江戸時代、雲州松平家、因州池田家など山陰地方の大名の御用廻船問屋を務めた大阪屈指の豪商。益三はその当主だったが、能楽師に転じた』とあります。


 父方の親戚からは、下田の家は江戸時代にはかなり手広く商いをしていたと聞かされていましたが、最盛時には、和船22隻、風帆船14隻を所有し、米、砂糖などの運航を出雲方面で行っていたということもはじめて知りました。


 しかし、何か問題があったのでしょう。江戸末期か明治のはじめ頃、暴風雨で船が沈没したり、土蔵が火事に遭ったりで商売は傾きます。
 益三の祖父、治兵衛の代に商売を畳んだということ。そして、益三の父(私の曾祖父)の下田益太郎は自営ではなく、野村商店(現、野村證券の前身)に勤務する会社員であったということを展示資料で知ることができました。
  

 益三の幼少の頃、家業が傾き、時代の変遷もあったと思いますが、廻船問屋を廃業するのを見て育った益三は、どのような想いであったのか・・・。それは知る由もありませんが、祖父の治兵衛が謡いを習っていたのを、一緒に連れられていたことが能楽師になるそもそものきっかけでした。


       
              <展示品のひとつ、益三40歳の頃か?>


 わたくしは神理学の教えで、父方の因縁を強く引いていることを知っています。
 家業の物流業より、四柱推命はじめ占いに興味関心を抱くようになったのは、この祖父、益三の因縁を強く受けているのかも知れません。


 反対に、わたくしの父が下田家から田中家に養子に来て、家業の物流業を引き継いだのも、血筋といいますか、何か因縁めいたものを感じます。


 昨日は、わたくしのルーツを再発見できたような気持ちになり、新年早々、貴重な一日でありました。


 名古屋付近にお住まいの方で、能楽等にご興味があれば、一度、名古屋能楽堂に足をお運び頂ければ幸いです。
 なお、繰り返しになり恐縮ですが、この催しは1月31日までです。


 最後にこのような催しをして頂いた、東海能楽伝承会の皆様に心よりお礼を申し上げます。