人を責める前に己を責めよ


 自宅近くの桜も咲き始めました。
 本格的な春の訪れがもうすぐですね。
  
 きょうは博多に行って参りました。


 大乗推命学会の新しい会長に選ばれた箱嶌成風(はこしまじょうふう)先生のご就任祝賀会に参加して来ました。


 新会長の箱嶌先生は、福岡を拠点に幅広く大乗推命学会の現代看法を広めておられ、たくさんの会員を指導養成されています。


 本日、箱嶌先生にお聞きしたところ、師範の方(大乗推命学会で原則3年以上学んだ方)も100名近くおられるということですから、先生のこれまでのご活躍の程を察することができます。


 わたくしも以前より、亀石突風先生の後継者は、箱嶌先生がもっとも相応しいと思っていましたので、何よりのことと嬉しく思っています。


 さて、きょうのお祝いの席で、亀石先生がおっしゃっていたことですが、四柱推命は自己究明の学問であり、この勉強をすればする程、自分の至らなさ徳のなさが分かる。・・・


 周囲のお陰なくしては自分というものはない・・・、だから自然と感謝の念が沸いてくる・・・、人を責める前に己を責めよ・・・、これがわかれば争いもなくなる・・・、これは万人みな勉強する必要がある・・・。
といった趣旨のことをお話されていました。


 わたくしもその通りだと頷きながらお聞きしていました。
 四柱推命は、自分自身を真摯に見詰める学問であり、客観的に自己の本質(わたくしは魂の優劣までも含まれると思っています)を知らしめてくれる天の教えであると思っています。


 であるからこそ、習得は容易ではなく、この勉強に終わりはないと思っています。
 厳しく、ときには情け容赦のない鑑定結果を突き付けられて意気消沈したり、わが身の不運不幸に苦悶することもありますが、それを乗り越えなければ進歩前進はありません。


 なぜ、そういう運命の下に生まれてきたのかを、よくよく考えると偶然ではないことに気が付くはずです。
 また、それに気付かなければ生まれてきた意味がないようにも思います。


 ですから、はじめから癒しや何かの救いを求めるために四柱推命を学ぼうとされるなら、それは無理な話であると申し上げておきたいと思います。


 もうひとつ大事なことを申し上げますと、四柱推命は己事究明の学問であるといいましたが、できるなら他人様の品定めのような鑑定に用いることは避けるべきでしょう。
 

 鑑定をされるなら、紫微斗数のほうがはるかに適切なアドバイスがしやすいと思います。


 紫微斗数はもともと実社会で成功するために、また幸せになるためにどうすればいいのか? という人間の根源的な欲求を満たすために開発された占術ではないかとさえ思える占術です。


 こうしたことも先にお知らせしました5月23日のセミナーでお話したいと思っています。