吉神と凶神


 四柱推命の10種の通変星は、分類状、次のように吉神と凶神に分かれます。

 ・吉神・・・食神、偏財、正財、正官、印綬の5神
 ・凶神・・・比肩、劫財、傷官、偏官、偏印の5神


 凶神だからすべてよくない作用が出るのかといえばそうではありません。
 吉神も同様に、すべてよいはたらきが期待できるということもありません。
 いかに吉神であっても、「太過不及は福命にあらず」で、そういうときは凶神が有り難い喜神となってくれるときが往々にしてあります。


 みなさまの中にも、自分は傷官格で凶神が用神となってイヤだなと思っていたり、あるいは、身弱の命には、日干の支えとなる比肩や劫財、また偏印の生扶の神は大変よい作用を及ぼすと本に書いてあったのに凶神とはおかしいのではないか…。
 というご意見をお持ちの方もあるかも知れません。


 わたくし自身も、もともとは陰陽五行の相生相剋関係を分かりやすく人間世界に当てはめたこれら10種の通変星を、吉凶に分類するのはナンセンスではないかと思っていたときもありました。
 ただ、古来より、上記のように吉神と凶神とに通変星を区別してみてきたのはそれなりの理由があると思います。きょうは、この件についてわたくしの見解を述べたいと思います。


 まず、古(いにしえ)の賢人は、この世で最も貴いものとして、財(金銭資財)と官位(官職や地位)を考えていたと思います。
 この世で生きていくためには、誰もがお金が必要なことはいうまでもないことです。
 また社会生活を営む上において、できれば人に使われる身分よりも使う身分になりたいと願うのは、人間の自然な欲求です。
 したがいまして、金銭資財を意味する偏財、正財の財星と、名誉や官位、官職を示す正官を吉神とするのはよく理解できるところです。
 そしてその万人が等しく欲する財を意味する偏財や正財を剋破する比肩や劫財を凶神とし、官位に傷を付ける傷官も凶神としたのはうなずけます。

 
 この世で生きていくには、お金とともにもうひとつなくてはならないものがあります。
 そうです。「衣食住」です。
 これらはお金で買えるものでもありますが、日本の封建時代をみても分かるように、年貢(税金)はお米で徴収されていましたし、武士の報酬も禄高という米の糧が基準になっていたことを考えると、「食糧」はお金よりも身近で、ときにはより価値のあるものとして受け取られていたと思われます。
 衣食住の星である食神が吉神とされるのもこれまた当然のことといえます。
 その食禄の神である食神を倒す偏印を凶神に分類したのも理解できます。


 次に印綬ですが、印綬は生母(正母)尊親の神として、愛情豊かな親(特にこの場合母親)に恵まれれば、どんな子供も順調に発育成長するとして、特に社会福祉など存在しなかった時代では、親、特に実母の役割や存在はまことに大きなものであったと想像できます。
 ですから印綬を吉神としたのも道理です。


 最後に偏官ですが、これは正官同様、官位や地位、身分を表しますが、偏官は日干のわれに対して七殺無情の剋を及ぼします。
 10種の中で、日干のエネルギーを最も弱める星でもあり、故に偏官は別名、「殺」とも呼称されているのです。
 これらのことを考えると、偏官は地位や身分を代表する星ではあるものの、凶神に入るべきものとして扱われるのは相当と思います。


 以上、みてきましたように、10種の通変星の吉神、凶神の区別は、まことに人間の社会生活の基盤となる要素の中で、なくてはならないものや万人が等しく欲するものを吉神とし、それを破ったり抑えたりする因子の星を凶神として分類したものと思います。


 ただ、この世は、すべて裏表で成り立っています。
 陰と陽、吉と凶、善と悪、・・・、これらは、そのときどきによって変化し、吉が凶になったり、凶が吉になったりすることもしばしばです。
 諸行無常のこの浮き世において、単に吉神であるからとか、凶神であるからとかという単純な看法に惑わされないようにお願いしたいと思います。


最後に、以上申し上げました吉神と凶神の分類の由来は私見ですので、誤りであるとかおかしいという方がおられればよろしくご教示いただきたいと思います。