塩沼亮潤 -大峯千日回峰行者-

 
 きのう(8/3)は、十月十日の講習会があり、その講習会へ行く途中、届いた雑誌「致知」九月号の特集に車内で目を通しました。


 対談形式で、塩沼亮潤(慈眼寺住職)氏の相手は最近TVでも活躍されている脳科学者の茂木健一郎氏です。


 千三百年の歴史で満行はたった二人という、常人では果たせない過酷な行を完遂された塩沼氏の言葉には、なるほどなるほどと頷くことしきり・・・
 日頃、自由宗教一神会で教わっていることと同じようなお話もあり、やっぱりそうなんだなぁ・・・と、もっと精進に努めなければと心に深く留めました。

 塩沼氏のお話で、特に心に残った次のふたつのことを少しご紹介します。


 まずひとつは、反省(仏教の言葉では懺悔)。

 『これは、「ごめんなさい」という単なる反省ではなく、「本当にしません、二度と同じことはしません」という深い深い反省です。懺悔の力、という言い方もします。「ただ懺悔の力のみよく積罪を滅す、悉く懺悔せよ」という教えで・・・』と塩沼氏は語られています。


 論語にも「われ日にわが身を三省す」と常に自己を反省する教えがありますが、わたくしも含めた現代人は謙虚な心を取り戻し、利己心をできるだけ抑制するような心掛けが必要と思います。


 そして、反省をかたちにするのが〝お詫びの行い〟です。
 反省は尊い行いには違いないと思いますが、この世は現象世界、想うだけでなくそれを〝具体的なかたち(行動)〟にしなければなかなか現実として我が身に反映されません。


 一神会で、事情や身情問題の克服、つまり幸せになるためには、〝お詫びの行い〟が大切と教えていただいています。
 お詫びの行いとは、単に言葉だけで詫びるのでなく、お金や行動をお詫びのしるしとして、誠の気持ちを現す方法であります。


 古来、お百度参りというのがありますが、家族や知人の急病などで神社でお百度を踏むのは、まさにお金と行動の両方を神様に受け取っていただくための行為です。


 「悔い改める」という言葉がありますが、これを「悔いてお詫びして改める」という三段活用で考えるとどなた様も必ず幸福への第一歩を踏み出されることを断言します。


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 塩沼氏のお話でもうひとつご紹介したいとのは、〝人を赦す〟ということです。

 氏は、「私は人生も行も、つまるところ、すべて人を恨まない、人を憎まない、人のせいにしない覚悟を持つことが出発点だと思っています・・・」と述べられています。


 一神会でも、先ほど申し上げましたお詫びの行いとともに大切なことのひとつに、〝人を大目にみて赦してあげる〟ということを教えていただいています。


 理不尽な仕打ちや非情な出来事に見舞われた人は、なかなかこういった心境にはなれないと思います。

 普通の人生でも恨みや憎しみなどは、ある面、人間の本能でもありますから、それを抑えて打ち消すことは難しいとは思います。


 とくに、身近な縁者を赦すことは大変難しいことでもあると思いますが、世間の目から見て良い人といわれる人もそうではない悪人(社会的な常識や規範に欠けた人)といわれるような人であっても、そうした人と縁が生じたという不思議な巡り合わせは、人智を超えた神仏の計らいであると信じます。


 〝お詫びの行い〟と〝赦す〟ということ。
 このふたつを完璧にできる人は常人ではおられないと思いますが、少しでも意識的に取り組むのとそうでないのとでは、五年、十年とすれば大変大きな差になってくると思います。



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