四国お遍路


 ご無沙汰しています。
 師走となり寒さが増してきました。


 はじめての四国八十八カ所お遍路の旅から帰ってまいりました。
 多くの方から言われるのは、「どうだった?」というお言葉です。


 それに対するわたくしの応えは、「もう一度、行ってみたい!」という言葉をお返ししています。「行って良かった!」というのが率直な感想です。


      
          初日に宿泊しました、第七番霊場十楽寺


 白衣を身にまとい、和袈裟を付け、念珠と金剛杖を持って各霊場を廻って行くのですが、わたくしの場合、脚に自信がないのと仕事の都合もあって、車で計九泊十日の日程で結願しました。


 11月19日から47ヶ所を廻り、一度戻って、また12月5日から残り48番霊場から88番霊場の41ヶ所を廻りました。
 11月のときはまだお遍路のシーズンでもあったせいか、多くのお遍路さんをお見掛けし、歩き遍路の方も思ったより多いなと感心しました。



 八十八ヶ所の行程は、約1450キロということで、どんなに早くても徒歩での遍路では50日掛かるということです。
 歩き遍路の方をお見掛けすると、思わず頭が下がります。これは修行というより苦行であると思います。


      
         第三十六番霊場青龍寺で(左は倅です)


 驚いたのは、あちこちの寺院で、50回巡拝記念とか88回巡拝記念というような、桁外れの回数を廻られたお遍路の大先達の祈念碑がありました。その多くは車で廻られたと思いますが、それでも何年も掛けて廻られたことと思います。


 ここまでお遍路に魅力を感じる方が多いのは何故なのか・・・?
 それをずっと考えながら廻っておりましたが、わたくしの場合、四国という独特な土地柄、千年以上の歴史、1番から88番まで順番に廻ると各霊場で墨書と御朱印が頂けるある種の達成感・・・等々が魅力のポイントではないかと思いました。
 

 はじめは真っ白の納経帳が、ひとつ一つ順番に各霊場の立派な墨書と御朱印で埋められていく・・・、それが何とも言えない楽しみのひとつでもありました。


 四国のお遍路は、日本人の素朴な信仰の原点であり、とくに先祖供養にはこれ以上のものはないと思います。


 大天才の誉れ高く、密教という難解な仏教を日本に持ち込まれた弘法大師空海ですが、一般庶民の信仰の礎も残された御大師様の偉業と慈悲の心に、敬慕の念を抱くのはわたくしひとりではないと思います。