四柱推命/紫微斗数/断易研究会を始めました。
四柱推命/紫微斗数/断易の研究会を昨日より始めました。
遠くから、愛知や鳥取からもお越し頂いた方があり、有り難く思っています。
この研究会では、ある実在の生年月日の人を四柱命式と紫微斗数の命盤を同時に出して、両方から分析していくのですが、これは比較検証していく上でも大変有意義であると思っています。
四柱推命は陰陽五行、十干十二支の性情から論理的に命式の分析ができます。
換言すれば、「なぜ」そのようなことが言えるのか? という理屈が分かるのです。
片や、紫微斗数は論理的な理屈はさておき、具体的な細かい象意がよくつかめます。
この両者をミックスしてひとりの人物の鑑定をしていくのですから、理論的根拠を把握しつつ、細かな分析ができるのですから、鑑定品質は優れたものになると思っています。
ところで、いつも思うことなのですが、良い四柱命式は少ないですね。
昨日の教室でも、三人の方の生年月日を拝見しましたが、お一人はなかなか良い命式でしたが、他のお二方は、かなり片寄った命式でした。
そのような方に、ではどのようなアドバイスをしてあげればいいのか?
このあたりのことを本当はこの研究会で検討していくのが大切ではないかと思っています。
方位やまやかしの開運グッズなどに頼らない、真の開運法も学んでいかなければなりません。
わたくしの師匠である亀石突風先生がよく言われていたことですが、「四柱推命に秘伝などない」ということ。また、原理、原則は、「公開性や永続性」があって万人が納得できるものでなくてはならないということ。
まったくそのとおりと思います。
科学的な知識経験をもった現代人であるわれわれが、吉方位や凶方位の存在を心底納得して信じている人がどれほどおられるのかはなはだ疑問です。
ほんの少しでも心の片隅ではおかしいなと思ったことを、占い師に言われたからと言って実行してもまず結果は得られないのは当たり前です。
少なくとも、四柱推命は冒頭申し上げたように、陰陽五行の原理と十干、十二支の性情から先天運命を推量していくのですから、原理原則に則り、公開性や永続性は他の占術の比ではないと思います。
そして、これも亀石先生がおっしゃっていたことですが、四柱推命を勉強したものは、自分の徳分、本質が見えてくる。はっきりいって自分の器はたいしたものでないということが分かる。だから、人様に、自然と「おおきに(大阪弁で有り難うということ)、すんまへんな」という感謝の言葉や姿勢が出てくるようにならなければならない・・・と。
含蓄のある言葉だと思われませんか?
わたくしも常に?心掛けているのですが、つい我が出たり、自己本位の言動が出たりすることがあります。日々、反省とお詫びの毎日です。(本当です。毎日、寝る前に神棚に向かってしています。)
何も卑屈になることはありません。
自分の至らなさがいまの自分の環境を作り出してきたということだけでも分かれば、そこから本当の意味で進歩前進ができるのではないかと思います。
鑑定結果は厳しくとも、人生はポジティブ指向でなければならない。ということがこの学問をする心構えには必要です。