合わせる心使い


 一神会は、いま、修行の時期です。
 わたくしも先日、祭式修行を終えました。


 祭式修行は、神様のお祀りの仕方や神様に対する礼儀作法を教えて頂ける勉強で、とくに〝順序の理〟という序列順位の大切さを身をもって教えて頂けます。


 順序の理は、大きいところではこの地球がある太陽系の宇宙や、小さいところではわたくしたちの日々の生活において、この法則が厳然として存在しています。


 神前結婚で、神様の位置から見て新郎は左、新婦は右に立ちます。
 立つ位置は定まっています。
 三月三日の雛祭りで、旧家の立派な雛壇は、前方わたくしたちから見て向かって右が殿様、向かって左が奥方様が正しい位置です。最近の雛壇は逆になっているものがほとんどですが、順序の理を知らない人たちが増えている証拠です。


 平安時代の貴族社会において、左大臣と右大臣の役職がありましたが、左大臣のほうが右大臣より上席となります。


 つまり同じ位置なら、左(新郎の位置)は上座、右(新婦の位置)は下座になります。


 どうしてこのような法則ができたのかですが、太古の昔、偉い天皇様が勝手に決めたというのではありません。また理由もなしにいい加減に定まったのでもありません。


 それを知りたければ、「ふしぎな記録 第九巻 第二神伝記」をお読み頂ければと思います。
 この書物は天啓文書で、人類の宝と云っても過言ではありません。お読み頂ければ、心ある方はわたくしのもの言いが大袈裟でないことをご理解頂けると思います。
 

 順序の理は、単に立つ位置や位階がどうのこうのというだけではありません。
 序列順位が違うとそこには役割の違いがあり、また責任の重さの違いがあります。
 そして下座の人は上座の人に合わせることが大切で、同時に上座の人は下座の人が合わせやすいように気を使うことも必要です。


 この「合わせる心使い(心遣い)」がとくに大切であると、一神会で教えて頂いています。
 


 さて、占いを勉強していますと、縁談の相性や既婚者の夫婦相性を見て欲しいという依頼が多いですが、相性もわたくしは否定は致しませんが、それよりも大切なことはこの合わせる心使いだと思います。


 近頃は、女性上位の世の中となり、家庭の主導権は女性(妻)が握っているところが多くなったように思います。実際、若い方を見ていますと女性のほうが勤勉で、大学生なども女子のほうが優秀な方が多いのが現状のようです。


 しかし、夫婦となると、いくら主人より奥さんのほうが優秀だとしても、上座は主人であり、奥さんは下座になります。甲斐性のない主人、うだつのあがらない旦那さんであったとしても、夫を尻に敷くような振る舞いは、天(夫)地(妻)逆転となり、いずれ家がひっくり返って断滅因縁となります。


 大勢の男と女がいる中で、夫婦となるのは偶然ではなく、互いの因縁が引き寄せ合って一緒になったと云えます。夫婦は合わせ鏡とは昔から云われています。相手の姿、振る舞いは自分の言動の裏返し。自分も気付いて反省すべきところは改めて、良くないところは神様にお詫びをして通らせて頂く・・・
 神理の勉強は夫婦円満の秘訣でもあります。


 お恥ずかしい話ですが、わたくしの親戚の老夫婦が、ご主人が80歳代、奥様は70歳代で現在、離婚裁判中です。この話を聞いたとき、こんな年齢になって、何故?と、思わずにはいられませんでしたが、株で大損したご主人は自宅まで手放さなくてはならなくなり、怒った奥さんに愛想を尽かされたというのが実情のようです。


 「金の切れ目は縁の切れ目」とよく云われます。
 以前のブログにも書かせて頂きましたが、世の中に「使い方」はいろいろあります。なかでも「お金の使い方」はもっとも気を付けなければならないもののひとつであると一神会では教えて頂いています。


 いまは、最後の審判(さばき)の時代であり、人間に金を廻して裁きする・・・、と「ふしぎな記録 第二巻 金の巻」に記されています如く、これからもますますお金の問題で世の中がおかしくなり、離婚する人もさらに増えてくるでしょう。


 夫婦揃って平均寿命までは健康でいたい・・・、そして世間並みに金婚式を迎えたい・・・という人は、是非、神理の勉強をして頂きたいと思います。