よろこび


  よろこびや
  よろこびや
  何よりも喜びが第一やで
  ちょっと見てよろこび
  ちょっと聞いてよろこび
  あれ見てよろこび
  これ見てよろこび
  ほんまによろこばなあかんで
  ほんまによろこびが第一やで


  よろこんだらふえるで
  よろこんだらふくらむで
  不平をいうたらきりがない
  不足を積んだらきりがない
  不平は離れるもとやで
  不足は切れるもとやで


  よろこびや
  よろこびや
  何よりもよろこびが第一やで
  よろこんだら見えてくるで
  よろこんだら聞こえてくるのやで
  人の情けも自然の美しさも
  みんなむこうから変わってくるのや


  十歳でも一夢
  百歳でも一夢
  タッタ一ぺんの人生やで
  よろこばなあかんで
  よろこばな損やで
  不平をいうたらあかんで
  不足を積んだら損やがな
  よろこんだら楽しいで
  不平をいうたら淋しいで


  何がなくてもよろこびが
  タッタ一つでもあったなら
  それが最初のもとでやがな
  それが最初のもとだねや
  小さいよろこびがちょっと大きなり
  ちょっと大きくなったのが
  またちょっとだけ大きなり
  だんだん大きくなってしまいには
  胸一杯にひろがるで


  一つことしていても
  一つこと見せてもろたかて
  受けとる心で違うのや
  この世をよう見てみいや
  子供も財(たから)もこのからだも
  自分のもののようでそうでない
  それが証拠に不孝の子
  それが証拠に無一物
  そんなら何が俺のもの
  そんなら何がうちのもの
  そんじょそこらを探しても
  ホンに何にも無いだらけ
  有るのは本来空だけや
  有るのはこれこれわしだけや


  こころ一つがわれのもの
  心一つが俺のもの
  明るい心で通るのも
  暗い心で過ごすのも
  自分の気持ちの有り次第
  おのれの心の持ち次第
  同じ一夢のこの世なら
  明るい心で通りましょ
  広い心で過ごしましょ
  みんなで楽しくくらすのが
  ホンに一番よいことや
  ホンに一番しあわせじゃ

   (亀石突風著「消閑賦」より抜粋)


 この文章は、昭和54年に亀石先生が京都書院より四柱推命学事典を出版されたときの記念品として、お手製の冊子「消閑賦」をいただきましたが、その巻末に記されています。


 このときの出版記念パーティーにわたくしも出席させていただきましたが、小生はまだ若干22歳。
 出席された方は、わたくしより相当年上の年配の方がほとんどで、ちょっと気遅れするような感じでした。
 たしか3月でまだ寒い日でしたので、コートを着ていきました。


 いまでも忘れませんが、会場に着くと亀石先生ご夫妻が入口のところで正装して来場者に応対されていました。
 わたくしは無礼にも、コートを着たままお祝いのご挨拶を申し上げると、亀石先生より、
 「こういうときは、コートは脱いで挨拶するもんや」と叱られました。
 慌てて脱いで、再度ご挨拶を申し上げましたが、同時に冷や汗も出ました。


 まだ社会人になる前のことで、礼儀知らずのわたくしを叱って教えていただいたことに、いまでも感謝しています。
 それ以後、コートは会場に入る前に脱ぐ習慣が自然と身についたからです。
 なかなか最近は、人のためを思って注意したり叱ったりする人はいなくなりました。
 亀石先生のような方は、いまでは貴重な存在かも知れませんね。

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 安岡正篤先生も、人物を修める秘訣として、「心中に喜神を含むこと」とおっしゃっています。
 ここでいう、喜神とは喜心のことで、どんな苦しいことがあっても心の奥の方に喜びを持つということです。


 また、「喜べば 喜びごとが 喜んで 喜びつれて 喜びにくる」という名文を聞いたことがありますが、何にでも喜べる人は幸せな人です。


 「いまが先々の種」。
 いま、喜びの種をいっぱい蒔いている人は、先々大きな喜びに満たされた人生を送れることは間違いのないことです。