神棚をお祀りする


 わたくしは神棚をお祀りすることを鑑定相談に来られた方によくお奨めしています。
 昔は、何処の家庭や会社でも神棚があったように思います。
 立派な神棚はなくても、台所に荒神様をお祀りしていたお家は多いと思います。


 鑑定相談に来られた人に、「お家に神棚はありますか?」 とお尋ねすると、だいたい10人中7人くらいはありませんというお答えです。
 多いのは仏壇はありますが、神棚はありませんという回答です。
 神棚をお祀りしているのは、現代の家庭ではおおよそですが3割というところでしょうか。


 なぜ、神棚をお祀りするのか?
 どうして神棚が必要なのか?
 みなさまは考えたことがおありでしょうか・・・。


 一神会で教わったことですが、古代、神代の昔、いまから何千年前の話ですが、神様は人間のお姿をされ、人間と一緒に暮らしておられたということです。

 わたくしたち人間は、文字も、田んぼや畑で農作物を作ることも、織機で着物を作ることも、人間が生きていくために必要なことはみな神様から教えていただきました。
 

 そしてもっとも大切なことは、


 〝神様は自ら人間に神様に対する礼儀作法(祭式)を教えられた〟


 ということです。


 もう一度、繰り返しますと、神様は人間の姿になって神様に対する礼儀作法である祭式、つまり神様のお祀りの仕方を人間に教えられたのです。


 これは大変重要なことです。
 後世、人間が人間の考えで神様をお祀りしたのではありません。
 わたくしたち人間が勝手にはじめたことなら、やってもやらなくてもいいかも知れませんが、神様御自ら神様をこのようにお祀りしなさい・・・、とわざわざ教えられたのですから、わたくしたち人間はそれをしなければならない務め(義務)があるわけです。


 たまに神社にお参りしたときは、何か心が洗われ清められる経験をされた方は多いと思います。自宅に神棚があれば、毎日、そのような経験もすることは可能です。
 そしてさらに一歩進んで、ただお神様を祀りするだけでなく、神様の教えを学びたいという気持ちが自然と起こるようになってくれば神の子としての自覚が芽生えてきた印です。


 宗教といえば、毛嫌いする人とか、自分は無神論者であると吹聴する人もいますがとても情けないことです。
 神代の昔、神様が人間の姿になって教えられたことが、神理の教えです。
 この世の法則であり、神理は真理となっていまに伝えられています。
 その一部が宗教というジャンルでいまのわたくしたちに伝えられているわけです。

 
 いまは、宗教を求めるのではなく神理を求める時代ともいわれます。
 そのまず第一歩が、神棚をお祀りすることだと思います。


 余談ですが、わたくしの携帯電話の待ち受け画面は、自宅の神棚です。
 携帯電話がお守りとしての役目も果たしてくれています。