墓地無用論


 秋のお彼岸の真っ最中ですね。
 わたくしも今日、お墓参りに行くつもりでしたが、昨日東京から五日ぶりに自宅へ戻ってきましたので、何やかやとやらなければならないことがたくさんあり、お彼岸の墓参りには行けなくなりました。


 わたくしの墓地は奈良の富雄というところにあり、車で神戸の自宅より約1時間強で行けますので近いほうだと思います。
 墓の面積はやや広いほうで、約6畳くらいありますので夏の雑草取りは結構大変です。
 昨年、父の墓を新たに設けるにあたって、それまで四基あった墓石を田中家先祖代々の墓として一基にまとめ、戒名を書いた霊標を墓石の横に作りました。
 これで少し墓の清掃が楽になりました。


 わたくしは過去に墓相にも興味を持ち、少し勉強しましたが、吉相の墓を設けるのはいまの時代大変です。初期投資が非常に高額なのと、あとあとの維持管理の手間(とくに清掃)に苦労します。
 少子化で長男か長女のみの一人っ子が多い昨今、両家の墓の面倒を子供たちに強いるのは可愛そうな気がします。


 わたくしが日頃お世話になっている一神会では、標題にありますように墓地無用論を唱えておられます。
 遺骨を納める納骨堂は必要ですが、狭い日本の限られた土地に立派な墓を作ればいたるところ墓だらけになってしまいます。


 またほとんどの人は死後80年以内に生まれ変わるということですから、すでにこの世に生まれ変わっているご先祖様のお墓に参るといのもナンセンスな話です。
 ちょっと冷静になって考えれば、誰もなるほどと思うのですが、とかく目に見えない世界のことですから、よくない宗教家(屋)から先祖の霊の障りや水子の霊の祟りなどといわれて、先祖供養のために墓を勧められ買われた方も多いのではないでしょうか。


 先祖供養はご位牌を安置する仏壇があれば十分です。
 春秋のお彼岸やお盆のときにご先祖の御霊が戻ってくるのはご位牌のあるところで、墓には行かないということです。
 

 墓地や墓石の販売に携わっておられる方々からお叱りを受けるかも知れませんが、わたくしも墓地無用論には賛成です。
 しかしすでに墓地を持っておられる方は、それを適切に維持していくのは長男を筆頭に子供たちの大事な仕事であるとも一神会で教えていただいています。


 たまに墓参りを定期的に欠かさず実行されて、運がよくなったとかトラブルが解決したという方がおられます。 
 人それぞれ何か信ずるに値する対象を持たなければ、生きていくのが辛く感じるようなときがありますが、墓参りでそれが得られるならそれもよい手段だと思います。


 ただ、気を付けなければならないのは、ご先祖の御霊様に願い事や悩み事を唱えられるのは慎むべきことと思います。
 ご先祖の御霊様に負担になることは避けるべきで、事情や身情の願い事は神様にお願いすべきということです。