地震


 天災の中でももっとも恐ろしいのは地震ではないでしょうか。
 地震の予知はなかなか難しいようですし、さきの岩手・宮城内陸地震では強い震度のわりに被害が少ないという不幸中の幸いがありましたが、活断層だらけの日本ではどこに住んでいても安心ということはないようです。


 平成7年1月17日未明に起こった阪神・淡路大震災のときは、わたくしは大阪市内に住んでいましたので、お陰様でほとんど被害に遭わずに済みました。
 震災当日はまだ交通規制がありませんでしたので、得意先の会社の寮におにぎりと毛布を届けるために、夜中に軽四トラックで神戸市灘区の阪急六甲のほうへ行きました。
 途中、西宮、芦屋、東灘区、灘区と国道二号線沿いに進みましたが、停電で真っ暗な中、月明かりに照らされた町並みは爆撃にあったような光景で、まるでゴーストタウンのようでした。
 阪神高速道路が倒壊して、車が押しつぶされぺしゃんこになった横を通り抜けたり、途中、ガス漏れの異臭があったりと、普通なら1時間くらいでいける距離を車の通行が可能な道を探しながら、約4時間くらいかけて目的地へたどり着いた経験は一生忘れることはないと思います。

 
 この大震災を予言されていた方がおられます。
 一神会の浅見宗平管長様です。
 平成6年9月1日に発行されました、「ソロンの予言書Ⅰ」におきまして、「平成7年 西暦1995年 日本及び世界各国に大変動」というタイトルで予言予告されています。


 天変地変はなぜ起こるのか?
 についても詳しく記述されていますので、ご興味のある方は、一度お読みいただければと思いますが、〝天変〟〝地変〟と言葉にありますように、天変ののち地変が起こるということで、国の偉い人たち(大臣、政治家等)がぐらついて(政局)不安定であると、地変につながるということです。


 ちょうどこのときは、
 平成5年8月に日本新党細川護煕内閣が発足。
 平成6年4月に 細川内閣総辞職
 同年同月、羽田孜内閣発足。
 同年6月、羽田内閣総辞職
 同年同月村山富市内閣が発足。
と、わずか1年くらいの間に内閣が三回変わっています。


 最近も安倍内閣福田内閣、そして次の内閣はどなたが総理になるかまだ分かりませんが、1年持つか持たないかの短期の内閣は、阪神・淡路大震災の前の政治状況とよく似ているようにも思います。


 この大震災のときもそうでしたが、被害に遭われた方は大変お気の毒なことと思いますが、同じ地域に住んでいても隣近所の倒壊した家屋から人を救助した方もおられます。
 このような天災のときに人間の普段の信仰心と行いがものをいうように思います。
 避難所にいて助けられる側になるのか、反対に救助や援助に向かう助け人となるのか、その人の器の大小がはっきりと現れるように思います。