賢人とは・・・
今月の聖語
天は賢人を
すて給はぬ
ならひなれば
=震災と私たち=
日蓮聖人御遺文『兄弟鈔』
『 大震災から一年が経ちますが、いまだに私たちの心は、
過去の喪失感と未来への不安でいっぱいです。しかし、
多くの人々が心をくだき、暗中模索しながら前進しよう
としていることも確かです。三月十一日は亡くなられた
方々への追悼とともに、生きている全ての人にとっての
「命の日」とし、その重みを共有しなければなりません。
日蓮聖人は、どんなに悲しく辛いことがあっても、
天は賢人を捨てはしないと説かれ、暗闇の中に確かな方向を
示す光を点されました。では、《賢人》とはどのような
人間なのでしょうか。ご遺文を拝読いたしますと、頭がよく
成績のよい人ではありません。ここで示された《賢人》とは、
真実を求め至誠を捧げようとしている人々のことであります。
それはいまだかつてない大震災によって、正しい人間性に
目覚め、新たな絆で結ばれようとしている私たちのことであり、
このご遺文を読んで下さっているあなたのことです。
いまは、この新たな絆をたよりに立ち上がり前進するときです。
そんな私たちを天は見捨てはしないのです。』
−清光山・教福寺の門前掲示物より−
きょうは、神戸市灘区にあります日蓮宗のお寺、清光山・教福寺へ参りました。
以前の本ブログで仏壇のことを書かせて頂きましたが、先日、自宅にその仏壇が入りました。きょうは過去帳に先祖の命日や戒名を書いて頂くために、新しい過去帳を持参し、教福寺を訪れました。
帰りに、門前のところに掲示されていた上記文章が目に止まりました。
大変、心に響きました。
日蓮聖人様の言われている、《賢人》に一歩でも近づきたいものです。
大震災から、明日でちょうど丸一年・・・。
全国でさまざまな追悼の催しをされています。
お会いした教福寺のご住職様も、岩手県の釜石での一周忌の法要のため出掛ける準備をされていました。
2011年3月11日は、わたくしたちの大転換点であったように思います。
●清光山・教福寺↓
http://www.kyofukuji.com/