いまの自分は、楽しめているか?

  
 きょうは、一神会の第二御縁日。
 1月1日の元旦祭以来の参拝。
 思いのほか、日差しがあって、暖かく感じた。


 去年、新しく造られた手水舎の手水は、願掛けで掘られた御神水
 その有り難いお水を頂く。
 神様のパワーを頂いたような爽快な気分。


 そのすぐ近くの智恵の鳥居で合掌し、神名を唱えながら三回廻る。
 智恵は神様から授けて頂くもの。
 人間には智恵がなくては未来はない。


 その智恵の鳥居のところで、いつもご奉仕されているY先生が、
  「お仕事、順調ですか?」
 と、いつもながら温かいお気遣いの言葉を掛けて下さる。


 一神会は、わたくしの魂のふるさと。
 何とも言えない、なつかしさを感じるところ。


 顔見知りの何人かの人と挨拶。
 皆、穏やかな清々しい顔付きをされている。


 何かの本で読んだが、顔の美醜は先天のもの。
 しかし、“顔付き”は後天のもの。
 占いを嗜む小生としては、肝に銘じたい言葉のひとつ。


 一神会に足を運んでいると、その顔付き、すなわち人相まで良くなるようだ。


 いま、一神会は修行の真っ最中。
 一神会の修行は、苦行ではない。
 楽しい修行。


 太古の神代の昔。
 神様と神の子の人間が一緒に暮らしていた時代。


 神様は何も知らない人間に、神様御自ら神様をお祀りする仕方、作法を教えられた。


 神様は教える楽しみ。
 人間は教わる楽しみ。


 神様は人間に、楽しみをさせるためにこの世を造り、人間を拵えられた。


 いまの自分は、楽しめているか?
 毎日、楽しい暮らしをしているか?
 深く自問自答。
 

 「はい!」
 と大きな返事が出来ない自分がもどかしい、情けない。
 言うまでもないことだが、この楽しいとは単なる快楽のことではない。


 自分の魂が喜んでいるかどうかを問うている。


 神様の教えである神理の勉強をし、少しでもそれを実生活で実践すること。
 これが魂の喜びにつながる。


 なぜなら、人間は皆、本来、神の子だから・・・