懐才不遇の後天運


 以前から気になっていたことが、最近、ますます気になり出しました。
 それは、運の良し悪しについてです。


 透派の四柱推命の先生方の本を読んでいますと、後天運の良し悪しこそが幸不幸を大きく左右するように書いておられます。


 以前にもご紹介した平岡滴宝先生のご著書「四柱推命法深書」にも、先生は「色んな命式を経験させてもらっている私は、命式自体の良さもさることながら、運の良い人は得だなあと、つくづく感じさせられます。」と述べておられます。
(このご本は、とくに十干の性情について大変詳しくかつ分かりやすく教えて頂けるとても素晴らしいお奨めの本です)


 少し極端かも知れませんが、命式はあまり良くなくても運(後天運)が良い人、とくに30代、40代、50代と人生の中晩年にかけて良い人は、それなりの社会的な活躍が期待できる有徳の人だと思います。


 ところで、この運の良し悪しも、四柱推命で後天運として見る限り、すでに定まったものであり、ある意味それも先天的なものと言えそうです。


 まぁー、だから四柱推命で後天運も調べることができるのですが、これではいくら努力しても運の良くない人は、労多くして益少なし、報われることのない損な人生を歩まされているように思われる方もあるのではないでしょうか。


 透派で見たわたくしの命式は、外格従旺格となり、初年運から二十歳くらいまでが良くて、あとの20代から60代まで懐才不遇、周囲に理解得られない、認められない、人気が出ない等のもの凄く長い衰運期が続いています。

 
 当らずと雖も遠からず、もともとわたくしは素直な性格ですから、このことに少しは意気消沈しましたが否定することはできません。
 ただ、幸いなことにわたくしの場合は、従旺格で日干と左右の干(月上、時上の干)が喜神なので、これが有り難い味方となって支えてくれています。
 衰運期でもこれまで大きな落ち込みがなかったことに感謝しています。


 さらに、天は良くしてくれたもので、わたくしは紫微官禄宮が失・火星のみ、仕事運甚だ凶ですが、実弟は官禄宮、旺・天梁で統率力あり。いまはわたくしの代わりに社長職を引き継いで頑張ってくれています。
 お陰様で、わたくしは空いた時間、好きな占いの勉強もできます。


 話が少し逸れて恐縮ですが、以前、紫微斗数の村野大衡先生に鑑定して頂いたときに、いまでもはっきり覚えているのですが、このわたくしの官禄宮についての村野先生のお言葉です。

 
 私、「先生(村野大衡先生)、わたしくしの官禄宮は火星のみ。仕事運良くない
    ですよね。わたしは四柱推命をやってますので、厳しいことをおっしゃって
    頂いても大丈夫です。先生いかがですか?」


 村野先生、「田中さんは、仕事だけをする方じゃないんですよ。」


 物も言い様かも知れません。
 が、先程も言いましたように、元来、わたくしは素直な性格(笑い)ですから、村野先生のこのポジティブなお言葉がもの凄く印象に残りました。
 それ以来、村野大衡先生のファンになってしまいました。


 占い師、鑑定士の大切な役割のひとつに、いかに相談に来られた方を元気にさせるか、勇気づけるか、これは場合によっては占術そのものの技量よりも求められるときがあるように思います。


 話を元に戻します。
 わたくしが申し上げたいこと、それは「人間万事塞翁が馬」です。
 物は考えよう、この世に丸損はありません。転んでもただでは起きないようなポジティブな思考ができるか?、これが大切ではないでしょうか。


 わたくしは、長い長い懐才不遇の運が続いています(いまなお継続中)。
 一般的な社会人としての評価は落第かも知れません。


 でも、お陰様でと言えば負け惜しみに聞こえるかも知れませんが、わたくしは多くの得難い御縁を頂戴することができました。


 そのひとつが、四柱推命はじめ色々な占いに触れることができ、いまではそうした教室まで持たせて頂いて、色々な方と長くて深いお付き合いを持たせて頂いています。
 利害関係で繋がっていることが多い会社でのお付き合いは、会社を辞めればまずそれで終わりです。
 利害関係のない、趣味や生き甲斐の友は大切にしたいものです。


 そして何より有り難いことは、一神会で神理の教えを学ぶことができたということ。
 もし、わたくしがずっと運気が良かったら、御縁を頂けなかったのではないかと思っています。
 二十代の頃より、あちこち宗教の門を叩いて、最後にやっと辿り着いたところが、自由宗教一神会。この世を拵え、人間を造られた大親神様が始められたところです。


 一神会は古代神道の教えを学ぶことができます。
 本当の神道は、釈尊イエス・キリストはじめ孔子孟子などの世界の偉大な聖人が学んだ貴重な教えがあるということを、是非、知って頂きたいと思います。


 懐才不遇・・・、決して悪いことばかりではないというのがわたくしの経験から申せます。魂の修行ができるのは、このような人ではないかと、内心、わたくしは密かに思っています。