食べ物への感謝の気持ちを常に持ち続ける


 きょうのNHKの報道によると、去年1年間に自殺した人は、前の年よりも596人増え、3万2845人。厳しい雇用情勢を背景に、失業を理由に自殺した人が前の年よりも65%増えたということです。


 この報道をみて、以前NHKの番組で、〝ワーキングプア(働く貧困層)〟という働いても働いても豊かになれない非正規雇用の人たちの厳しい現実をテレビで見たことを思い出しました。


 非正規雇用の人たちで支えられているいまの日本の社会の実態が、経済的な理由の自殺者を作り出しているひとつの原因であるともいえます。


 以前にもお話したかと思いますが、神理の教えでは、いかなる理由があるにせよ自殺は絶対に認められない行いです。


 昔の人はこういってよく戒めました。
 「死んで花実が咲くものか」・・・。


 一神会で教えて頂いた神理の教えでは、自ら命を絶つ行いは、人間放棄と見なされます。折角、万物の霊長である人間として生を授けて頂いた神様への裏切り行為になります。


 忘れないで頂きたいのは、自殺しても次に生まれ変わったとき、また死ぬほど辛い苦しい運命が待っているということです。
 つまり前生の課題が次の世に持ち越されるということです。
 そして、また生まれ変わって自殺したら、今度は動物に生まれ変わるかも知れないということです。


 この理屈が分かっていれば、死ぬほど辛い運命に遇っても、おいそれと自殺しようとは考えないはずです。


 さて、失業などの経済的な理由で自殺した人が大幅に増えたということですが、人間は基本的に喰わんがため、生活するために職業に就かなければなりません。


 神理の教えのひとつに、「上げ下げ飲み食い入る理」というのがあります。


 この神様に好かれている人は、身分は引き上げられ、健康になり、生涯、食べることには困らないと教えて頂いています。


 そのためにはどうしたらよいか・・・、ということですか、詳しくはわたくしが推薦しています、書籍「不思議な記録」や「ソロンの予言書」をお読み下さい。


 ひとつだけ申し上げますと、食べ物への感謝の気持ちを常に持ち続けるということです。


 とくに、人間に喰われるために犠牲になった牛や豚や魚などの生き物への感謝の気持ちとして、食事の前には、「(出来れば柏手を四回打って)神様頂きます」といい、食べ終われば同じように「(出来れば柏手を四回打って)ご馳走様でした」という習慣を身に付けたいものです。


 また大切なのは、「美味しかったです」「うまかったです」と、食事を作った人への感謝としておっしゃることがあると思いますが、これは人間に喰われるために犠牲になった生き物への供養の言葉ともなりますので、できるだけ(美味しくないものを無理にとはいいませんが)「美味しかった」「うまかった」「最高!」というような感謝の言葉や誉め言葉を発するようにしたいものです。


 宮崎県では口蹄疫という家畜の伝染病が蔓延して大変な騒ぎになっているようです。
 食べ物への感謝を気持ちを忘れ、人間に喰われるために犠牲になっている牛や豚などの生き物への憐憫の情を失った現代人へのひとつの警告かも知れません。


 「食べ物」を粗末にせず、素直に感謝できる人は、運の良い人です。