知覧特攻平和会館を訪ねました。

 
 きょう、8月15日は、終戦記念日ですね。
  
 先日、南九州の指宿、霧島へ家族旅行に行ってきました。
 かねてより訪問したかった知覧特攻平和会館にも足を運びました。


 行かれた方はご存知だと思いますが、特攻隊員として尊い命を国に捧げた純真な若者たちの遺詠や遺書がずらりと展示されています。


 これが二十歳そこそこの青年の書いた文章かと思う程、どれもみな素晴らしい内容で、また達筆です。


 字がきれいで立派というのは、特筆すべき才能のひとつとあらためて思いました。



 もう、目頭が熱くなり、涙なくしては読めないような遺書の数々・・・。


 その中で、とくに印象に残りました遺詠と遺書をひとつずつ、謹んで掲載させて頂きたいと思います。


 このふたつの遺詠と遺書を拝見し、頭のてっぺんから足の先まで電気が走ったような感動といいますか、衝撃といいますか、魂を揺さぶられました。
 
 


 「地獄の閻魔王よ 帳面を拡げて待っておれ」 
   少尉 大橋治男  昭和20年4月1日出撃戦死 26歳



 『母を慕いて
  母上お元気ですか
  永い間本当に有難うございました
  我六歳の時より育て下されし母
  継母とは言え世の此の種の女にある如き
  不祥事は一度たりとてなく
  慈しみ育て下されし母
  有難い母 尊い

  俺は幸福だった
  遂に最後まで「お母さん」と呼ばざりし俺
  幾度か思い切って呼ばんとしたが
  何と意志薄弱な俺だったろう
  母上お許し下さい
  さぞ淋しかったでしょう
  今こそ大声で呼ばして頂きます
  お母さん お母さん お母さんと』
    少尉 相花信夫  昭和20年5月4日出撃戦死 18歳


 
           
  限りある命。
  精一杯に生きようと決意をあらたにした次第です。